視聴者が素人というのは間違い。報道のプロでないというだけで、それぞれの職業ではプロ。ネットに散在するプロが自分の職業関連ではプロとしての解説を始めているのが現状。それに「報道だけのプロ」では勝てるとは思えない。
視聴者が素人というのは間違い。報道のプロでないというだけで、それぞれの職業ではプロ。ネットに散在するプロが自分の職業関連ではプロとしての解説を始めているのが現状。それに「報道だけのプロ」では勝てるとは思えない。
「LOVE」と「LIKE」はどう違うのかと聞かれて、「ラブ」は「ライク」より強いのだろうと答えたら「程度の問題ではない、と人に教えられたことがあった。その先生は、「LOVE」は異質なものを、「LIKE」は同質のものを、求めることで、そこが違うのだという説明の仕方をした。
2010-11-20
(via quote-over100notes-jp)(appbankから)
「ラピュタは中高年にとっての忠臣蔵みたいなもんなのよ」という嫁の意見には同意せざるを得ない
(appbankから)
あなたの目の前に豆腐があると想像してください。
そして、私がそれを指さして、
「この豆腐は白いんですよ」
と言えば、あなたは
「そりゃそうでしょう。見ればわかります。」
と答えますよね。
これが「常識」。
次に、私は、「この豆腐の白さはね、現代の不安を象徴してるんですよ。」
と言います。
これを聞いた人のほとんどは、
「はあ?」「よくわかんない!」
と反応するでしょう。
これが「芸術」。
最後に、「豆腐はね、すごく栄養があるので、
“畑のステーキ”みたいなものなだんだよ」と言ったら、あなたは、
「確かにそうだね」「あ、そういえばそうだ」
と答えるはず。
これが、「コピー」なのだと、谷山氏は考えています。
著者によれば、1990年ごろまで日本の製造業の競争力を高めた一つの要因は、よく指摘されるように、親企業と下請けの協働である。両者の長期継続取引は企業間の密接な情報交換を通じ生産性向上に寄与した。この仕組みの重要性は、東日本大震災による一部部品の供給停止が、世界的に負の影響の連鎖を引き起こしたことからもわかる。また、生産現場の随所で発揮された熟練工の技能も重要であった。例えば、二次元の平面に書かれた設計図をもとに三次元の機械加工を行うには高度の熟練が必要であった。
こうした優位を情報通信技術の革新が打ち消しつつある。熟練工による高精度の金型加工は、パソコン上の三次元での情報処理に取って代わられ、密接な関係を保った企業間での部品の調整(すり合わせ)作業も、コンピューター上のシミュレーションで代替できるようになってきた。
さらにインターネットの普及もあり、情報通信技術による熟練の代替は世界中で可能になり、一部の製品、部品は品質に差がなくなった。著者によれば、競争は高度の知的インプットを体現したプロダクト・イノベーションに関するものに移ってきている。そこでは、研究開発を担当する研究者の質を左右する教育の問題と、彼らの流動性が重要である点が指摘される。
彼らがプロジェクトごとに自由に移動して刺激を受ける中で革新が生まれるということだろう。著者も指摘するように、この点は日本企業、経済が情報通信技術の発達を競争力向上に結び付ける上で大きなハードルとなっている。
日本のものづくり―競争力基盤の変遷 [著]港徹雄 - 植田和男(東京大学教授) - 書評 - 書評・コラムを読む - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
面白そう。要するに日本が90年代まで他に類を見ないと誇っていた「ものづくり」の職人芸というのは、容易に情報化可能で急速に陳腐化するような技術だったのだが、当時は情報機械やネットワークなどのインフラがなかったのでタマタマ伝播しなかったと。しかし、そうでない時代がくれば、当然機械や比較的低賃金のアジア諸国の職人に委譲可能になってしまうと。なるほどね。
そして、今後国がものづくりの競争力を保とうとするには、もっともっと高度な知識が必要になり、それを持っている人材が必要だと。なるほどね。
今から大学や大学院に変われっていっても10年以上かかるよね。これはもう、いま中国や韓国がやっているカッコウの托卵作戦を試みてみるしか無いんじゃないの?つまり、今ある日本の大学や大学院、東大などの世界でも競争的地位にあるような大学・大学院は除いて、それ以外の、少しはレベルが高いが世界と戦うほどでない、いわゆるボリュームゾーンの大学のいくつかが、欧米の大学院へ進学するための予備校になると。まるで過去の清華大学のように。講義をほとんどすべて英語にして、TOEFLやGREなどの北米や欧州の大学院進学テストを必須にして、もうひたすらそれだけをやると。もしも、その大学で英語の講義ができるほどの人材の数が足りなかったら、それこそStanfordやMITやUCBやIndian Institute of Technologyのネットの無料動画講義を利用すると(こうするとまさに資格予備校っぽくなるな)。そして海外の競争的環境で生き残ってきた人を日本に還流させると。そうすれば、おそらくその大学院予備校となった大学のレベルが急上昇すると思うよ。
(via kashino)(yaruoから)
文中に「人気」という2文字を目にしたらごく自然に「にんき」と読む。ただ、文脈によっては「人気のない境内」などのように「ひとけ」と読む場合もある。しかし、「じんき」という読み方までは思い至らなかった。
昭和半ばころの、ほんの少し前までの市井の古い言葉に巧みだった作家の向田邦子の回想録に「人気」と書いて「じんき」と読ませる個所がある。向田が飛行機事故で亡くなってから30年になるのを機に朝日新聞夕刊で連載した「人生の贈りもの」という記事だ。妹の向田和子さんからの聴き語りをまとめたものだが、その3回目「闘病の姉と『ままや』開店」で和子さんが姉から「女同士でも気軽に入れる店をやりましょう。人気の良い場所でね」と小料理屋を開くよう勧められる行(くだり)で「人気」の2文字に「じんき」とルビが振ってあった。
「人気スター」とか「若者に人気のある」など“popular”という意味(「にんき」)での用い方とは明らかに違う。そこで記事に出てくる『向田邦子の遺言』(向田和子著、文藝春秋刊)に当たってみたところ、引用元の一節が見つかった。その部分を引用してみよう。
――「『ままや』繁盛記」の中で、姉は、『水屋』《注1》をやっている私のことを、〈活気という点では、いまひとつ、面白味がないように思っていた〉と書いていたが、「活気」というのは、お客の数だけの話なのではない。その中身も含まれるのだ。だから姉は「人気」という言葉を使った。人気のいい場所、とそれにふさわしいお客、という頭があったのだろう。――
上記の本の中の「人気」にルビはないが、読み方は「にんき」ではなく「じんき」のつもりだったはずだ。文の流れからそう見て間違いあるまい。『日本国語大辞典』第2版(小学館)の「じんき」の項に「人の生気、活気。また、人々の気配。人が群集してつくりだす気配」「人々の気うけ。世間のそれをよしとする感情」という語釈にぴったりの言葉遣いである。『岩波国語辞典』(第7版)では「じんき」を「その地域・地区の人々の気風」と定義し、「ひとけ」の見出しの項には「人のいそうなけはい」とある。
以上、「人気」の読み方を「にんき」「じんき」「ひとけ」と3通り挙げた。実は、もう一つ別の読み方がある。「ひとげ」である《注2》。『岩波国語辞典』によれば、「人間らしさ」の意で「人気(ひとげ)ない振る舞い」という例文を載せ、その上で同辞典は「じんき」「にんき」「ひとけ」と読めば別の意、と親切にも補注をつけている。
(yaruoから)
物分りのいい人は自分を世の中に適合させる。わからず屋は自分に世の中を適合させようと頑張る。 だから、全ての進歩はわからず屋のおかげである。―バーナード・ショウ/劇作家
(yaruoから)
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう
自分が空虚だと思うのは大きな石が入っていない上に隙間もあるということか。
(appbankから)
その会社は、お茶汲みで倒産しかけたのだという。
なんでも、その会社は原因不明の業績悪化にあえいでいたんだそうだ。
いろんなところをチェックしてみても、どうしても悪影響を及ぼすような原因が見付からない。
どうしたものかと途方に暮れていたらしい。そんなとき、その業績悪化が始まる直前に寿退社したOLがいることに気付いた。
そのOLはお茶汲みくらいしかしてなくて、抜けたくらいで経営に打撃が与えられるとも思えない。
しかし他に原因らしい原因も見当たらないし……ということで、
経営陣はこのOLさんのところを訪れて、とにかく話を聞いてみることにした。元OLさんは「たいしたことはしておりませんでしたが……」
と遠慮がちに自分のやっていた仕事を語りはじめた。まず茶葉を仕入れて来ると、それを一度全部あけて、葉と茎に分別する。
誰よりも早く会社に着き、全員の机をきれいに拭く。
そして出社して来る社員たちの顔見ながら、一人一人にお茶を淹れる。
このとき、少し元気が無さそうな人を見付けたら、
前もって分別しておいた茎をお茶にちょこんと立ててやるのだそうだ。そう、茶柱を立てておくのである。「私のやっていたことはそれだけです」
(mugen8764から)
ハムスター速報(今更なんで非リンク)なんかでは、Twitterでの馬鹿発言を実名で取り上げ広めているわけですが、この時点ですでにスタート時点が違う。ハムスター速報の一日のPVが300万程度だと聞いておりますが、テキストサイト時代では1000PVで中堅、1万PVで大手と言われていた時代からすれば、まさにケタ違いの数字です。
テキストサイト時代では、上記の中堅サイトですらその影響力を考え他者を批判するのを躊躇していた訳ですが、ハムスター速報にはその躊躇が感じられない。おそらく、躊躇する理由が無いんでしょう。だって、批判されるべき対象を選んでいるのだから。
もっとも、ハムスター速報を批判する事は本道ではなく、私が言いたいのは、ネットの持つ攻撃力は確実に上がっているという事です。例のフジテレビデモなど、それの象徴です。
これはもう、ネットが人口が増えた以上仕方のない事ですし、ネットの影響力が増しているという功の部分と表裏の関係と言えます。一概に、責めるべきことではない。
ただね、ネットに関わる人間すべてが自覚しないといけないでしょうね。
ネットでの発言は、人を殺せるし殺されるのだと。
(yaruoから)